雑記

私のうつ病が治らない理由 - 寿命が先か?完治・寛解(かんかい)が先か?

 私がうつ病の投薬治療を始めたのは1998年、 その後、2000年の冬に入院、病院の中で21世紀を迎えました。

発症から本格的な治療(入院)までの期間が約3年弱。

 

当時の主治医の見立てでは、

「治療期間は少し長くなるが、 必ずよくなります」

とのことでした。

 

「少し長くなるとはどのくらいか?」

と尋ねたところ、

 

「約3年間。うつ病が悪化していった期間と治療期間はだいたい比例します」

とのことでした。

 

主治医のこの回答、理にかなってるなー、 という印象があり、今でも良く覚えています。

 

3年後:2004年

残念ながら、約3年後の2004年、私のうつ病はいっこうに回復の兆しがみられませんでした。

正確に言うと、ある程度までは回復したのですが、その後横ばいで、まったく回復の兆しが見られなくなりました。

 

2000年頃というのは、うつ病に対する理解というものが まだまだ浅く、私も勤めていた会社でかなり不当な扱いを 受けていました。

それが回復の妨げになる一因であったとは思います。

 

ただそれにしても

 

「根本的なところで解決がなされていない」

 

そんな感覚が私の頭にこびりついていました。

 

マイホームボツになる

その後、私は幸運に恵まれ、結婚をしました。

うつ病は一進一退を繰り返していたため、相手の女性(現在の妻)には事情を説明しましたが、それを踏まえてお付き合いをして、 プロポーズを受けてもらえました。

 

子供ができ、家を購入することになりました。

共働きだったため、収入面では問題ありませんでしたが、うつ病のため、ローンを組む際に加入する保険(団信)に入れず、 結果、マイホームを手に入れることはできませんでした。

(※その後、別の方法でマイホームを購入しました。詳しくは後日記事を書く予定です)

 

この時私は主治医に聞きました。

(結婚、転居のため転院、4人目の主治医、現在の私の主治医です)

 

「私のうつ病は治るのか?抗うつ薬を飲まないくらい回復する日はくるのか?」

「...うーん。どうだろうなー...」

 

あれ?

今までの主治医は「必ず良くなります」と言っていたのだが。

 

うつ病が発症してから10年が経過していました。

 

毒親

その後もうつ病は一進一退を繰り返し、時間だけが過ぎていきました。

 

この頃、治らないうつ病に嫌気がさして、病院で受けている治療にも不信感を抱いている時期でした。

うつ病を治す方法も自分で調べて、色々試していました。

その時、一冊の本に出会いました。

 

『毒になる親 一生苦しむ子供』 スーザン・フォワード

 

「そういうことだったのか!」

 

この本を読み、「根本的なところで解決がなされていない」という感覚の一角がようやく崩れ始めました。

 

本の内容は

「幼児期に精神的虐待を受けると、大人になって精神疾患を患う」

というものでした。

 

この本の中に書いてある、「ドメスティックバイオレンスと性的虐待を除いた全て」が、自分にあてはまりました。

 

そして、「このような幼少時期を送った子供は、このような大人になる」という説明。

私は、まさしくその説明の見本のような大人になっていました。

俗に言う「アダルトチルドレン」というやつです。

 

私が以前感じた「解決がなされていない根本」というのは、

 

「この精神的な傷は、うつ病が悪化していった期間である3年間で、治るような軽いものなのか?」

 

というものでした。

 

3年間で治るはずがありません。

私は幼少期からうつ病でした。

調べると、私の幼少期を書き写したような、子供のうつ病の症状を記した記述が、山のように出てきました。

 

子供であるがゆえ、それらの症状をうまく表現することができなかった。

そのため薬や精神療法といった治療を受けることができなかった。

 

つまりうつ病が悪化していった時期は3年間ではなく、40年間近くであった、ということです。

 

もう一つの原因

その後私のうつ病は悪化の一途をたどりました。

原因はまたしても仕事です。

 

二度目の休職(一度目は1999~2000年の入院の時)に入りましたが、 復帰のめどはまったく立ちませんでした。

 

休職期間のリミットが迫り、会社からの給料や傷病手当金も止まり、逆に会社の銀行口座へ年金や住民税を振り込まなければならなくなりました。

経済的な事情から、私はそれらを会社に振り込むより、妻の扶養になることを選びました。

 

2015年、約18年の会社生活に終止符をうち、治療に専念することにしました。

 

主治医からの指示に従うだけでなく、さまざまな精神疾患を調べました。

そのうち、気になる症状を発見しました。

 

「アスペルガー症候群」

 

主治医に事情を話し、検査をしたところ

 

「AQ42、中度~重度の間のアスペルガー症候群」

 

であることが分かりました。

(※AQ = 自閉症スペクトラム指数 AQ33以上:アスペルガー症候群 AQ37.9:アスペルガー症候群平均 AQ45以上:重度)

 

アスペルガー症候群とは知的障害(IQ70以下)を伴わない自閉症のことです。

 

空気が読めない、相手の感情が分からない、常識が分からない等々。

 

そしてこの障害は先天的なもの、つまり生まれた時から 私はアスペルガー症候群だったということです。

 

アスペルガー症候群 × 毒親 = 終わりのない苦痛

このようなアスペルガー症候群特有の生き辛さというものは、 物心ついた頃からずっとありました。

ただ、それが当たり前と思っていましたし、なにより私の親は「毒親」です。

 

常識が分からない行動や、空気が読めない言動を見つけると、 激昂し、直す(矯正する)まで執拗に「教育」をし続けました。

しかし残念ながらアスペルガー症候群をはじめとする発達障害というものは、努力で改善されることはありません。

 

私は自分に足りない部分を補うために、自分のすべてを「見せかけの矯正」に注ぎ込みました。

うまく説明できないのですが、会話をする能力がかけている分を、他の能力で補って「表面上は直ったように見せる」という感じでしょうか。

 

相手の言っていることが分からない。

 

先天的障害のため、いくら努力しても分からないものは分かりません。

その代わり、ありとあらゆる返答パターンを瞬時に頭の中に思い浮かべ、今までしたことのある会話を全て思い出し、一番近いと思われる会話を選択、そしてそれにあうと思われる返答パターンを探り当てる。

そして恐る恐るそれを口に出す、といった感じです。

 

例えば

「なんか疲れたよねー」

この一言を聞いた瞬間、私は瞬時に頭をフル回転させます。

意識的ではなく、無意識に。

毒親に「教育」されないために。

 

これだけやっても、初回に正しいであろう返答をできるのは 極めてまれです。

あとは嫌な思いを何度も繰り返し、正しいであろう返答をようやく推測できる(ことが増える)ようになります。

 

こうして私は「表面上はアスペルガー症候群」ではないように「演技できる」ようになりました。

 

もちろん代償はあります。

文字通り「死ぬほど」神経を使います。

 

  • アスペルガー症候群による社会との軋轢によるストレス
  • 親からの精神的虐待・および先天的障害を矯正されることによるストレス
  • 表面上、普通の人と同じように演じるために「死ぬほど」努力するストレス

 

これらの甲斐があり、親に対しては、この演技が非常にうまく効いていたようです。

私の親は、障害があるとは思いもしなかったそうです。

 

「そのころはアスペルガー症候群という症状が発表されていなかったからしょうがなかった」

 

そうです。

 

うつ病の正体

結局私のうつ病とは、

 

「アスペルガー症候群による精神的疲弊、親から受けた精神的虐待、および定型発達者(≒健常者)を演じることによる精神の磨耗、これらの二次障害である」

 

ということが40歳を何年か過ぎてから、ようやく分かりました。

 

約3年間の仕事のストレスというものは、最後のきっかけのようなものなのでしょう。

 

まとめ

「うつ病が悪化していった期間と治療期間がだいたい比例する」

 

アスペルガー症候群に気づいた時点が、治療開始でしょう。

そう思い、主治医に再び聞いてみました。

 

「80歳まで長生きすれば、私のうつ病はだいたい治りますかね?」

「あぁ、そういうことです」

 

以前この主治医が

「...うーん。どうだろうなー...」

と言っていた時、アダルトチルドレンやアスペルガー症候群のことは、まだ判明していませんでした。

 

でも診察を繰り返すうち、主治医は私に隠れている何かを感じていたのでしょう。

チェックシートだけでは測れない、医師の経験というやつですね。

 

ありきたりの言葉になるのですが、結局

 

「うつ病は早期発見早期治療」

 

これに限るようです。

 

私のうつ病が完治もしくは寛解するのは、2056年。

 

うつ病は必ず治ります。

ただその前に寿命が来る場合はあるようです。

3dman_eu / Pixabay

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